高知は後光が差していた
高齢者を介護するという光景は珍しいものではない。
わたしたちの年齢になると、親を介護している人がじつに多い。
子どものころから親しいと、当然親のことも知っている。
先日訪れた高知で、「少し認知が入っているけど、昔と変わらないよね」という会話がよく行われていた。
「行くと、『夕ご飯食べていきな、泊っていってもいいよ』と必ずいうよね。昔と変わらないよね」という具合。
わたしは「認知が入って〜」という言葉に注目する。
「認知症になっちゃって、ボケちゃって、認知症が進んで」といういい方とは違う。
「認知が入って〜」というと、認知症になるのは自然のことだとも受け取れる。
年齢を重ねるにしたがって、誰もが認知症になる、これは自然なことなのだと。
そして、認知症の入った親の言動を、昔と変わらないと評する。
介護している人にとっては、おそらく昔とは大きく変わったところもあるのだが、友人たちが「昔と変わらない」といって、その人のいいところをいってくれる。
それはきっとホッとするひとことだろう。
かつて、京都で「わらじ医者」と自ら名乗り、在宅医療を推進している早川一光先生に1日密着取材をしたことがある。
診察室で、認知症を患っている患者さんがくると、先生はまず、付き添いでいっしょにきたお嫁さんをほめた。
「あんたの後ろから光りが注いでいる、後光が差している」
というのだ。
お嫁さんは、そんなことはありませんといいながらもうれしいそうだ。認知症のおばあちゃんもうれしそう。
おばあちゃんの面倒を見ているお嫁さんがたいへんなのだが、おそらくそれは当たり前のことで誰も認めてくれない。
それを早川先生がまっさきにほめている。
嫁がほめられて姑もうれしい。これがお互いの関係がうまくいくコツなのだろう。
早川先生が実践していたことが、高知では自然に行われていた。
高知がいいなと思った。