敢えてバリアフリーにしなかった

高齢者向けの雑誌の広告を見ていたら、住み替えの特集をしていた。
人が訪ねてくる家、元気に暮らせる家、住み心地のよい家に変えるための特集らしい。
『健康』『お金』『人との交流』これが老後の最大不安とこの雑誌でいう。
これらのすべてに関係するのが、家だというのだ。


確かに、家は健康と大いに関係がある。
バリアフリーが話題になり、そのために改築したり、場合によって建てなおしたりする人もいる。
90歳を過ぎた義父のために、絵を描くアトリエを兼ねた家を建てた。
母屋が建っているところが、もともと多少傾斜地だった。母屋と段差なくつなげてしまうと、母屋のリビングが暗くなる。
そこで、傾斜をそのまま利用して、少し低いところにその家を建てた。
そこには、お風呂もトイレも作った。料理ができるキッチンがないが、義父自ら料理をすることはない。
階段がどうして必要になる。階段は5、6段ほどだが、母屋にくるために義父は登り降りしなければならない。
階段に両側に手すりはつけた。
亡くなる前日まで、義父は階段を上り下りして、母屋にきていた。


車椅子がなければ移動がむずかしい人にとって、段差や階段は大きな障害になることを間違いがない。
しかし、歩いて移動できるなら、家の中に手すりがなくても、壁や家具を伝って移動できる。
玄関にも2段ほど段差があったのですが、足元が心許なかった義父は、外壁に手をついて段差を登り、玄関のドアを開けていた。
同じように玄関の靴脱ぎも下駄箱の取っ手につかまって体勢を維持していた。



わたしの母は、60代で目が見えなくなったが、目が見えないことを悔やむことはなかった。
家の中は壁を手探りして、居間や台所など、それぞれの場所を確認しながら、歩いていた。
どこに何が置いてあるのか、どんな状態になっているのかを覚えていて、まるで見えるようにふるまっていた。
父は、母が真っ暗の中お風呂に入っていることで、目がまったく見えないことに気づいたくらい、目が見えないことを覚らせなかった。
不自由だけど、それを自分なりに工夫して克服しようとしたのだ。
こうした母をいまでも尊敬している。
不自由だけど工夫してみようと思うことは、どんな状態になっても大切なことだろう。
敢えてバリアフリーにしないで、不自由さを残しながら、そこで生活していくのもひとつの方法だろう。
自分で工夫して生活をすることが大切である。



からだが不自由な方や車椅子などでの生活を余儀なくされている方には、バリアフリーは絶対の条件であることは決して忘れてはいけないが。