なま悟りとは

「このままではおばあちゃんを恨みます」
 家をはなれ、たまに正月に帰ってくるくらいで、ほとんど行き来のなかった長男がいった。
 大腸がんの末期と診断を下されたときのことだ。


 彼女は地方の旧家に嫁いだ。
嫁ぎ先を知った祖母は、
「タンス一段分のむつきを持っていきなさい」
「舅の下の世話をするつもりで、そして、むつきを洗う場合は素手ですること」
このくらいの覚悟がなければ、旧家の主となる人と結婚してはいけないと。
 その教えを守り、夫を支え、舅姑に尽くしてきた。
 何度かくじけそうになったが、がんばってきた。

 
そんな中、何か体調が悪く、自分でもこれは尋常な病ではない、おそらくがんだろうと疑い、診察を受けた。
 医師の診断は、予想通りのがんだった。
 診察を受け、彼女は親しい友人に「ラッキー」と電話をしたという。
 がんといわれ、「ラッキー」という人はいないだろう。
 友人はあわてて病院に行き、会うとなぜかさばさばした様子だった。


 さらに彼女は、入院、治療を拒否したのである。
 姑の面倒をみなければならなかった。
姑はまだしっかりしていたが、介護が必要だった。
姑のためにも入院はできない、もし自分が入院したら、姑の介護は誰がやってくれるのか。
これがいちばんの理由である。
 母親の異変を知らされ、駆けつけた彼女の長男がいったのが、冒頭の言葉である。
そして、続けて長男は、
「もし、お母さんが治療を受けないというなら、お父さんを攻めます」
と。


姑の介護に疲れていた。
しかし、見捨てるということは絶対にできない。
自分が病気になれば、この状態から自然とはなれることができる。

看護は、病気がよくなれば、そこで終わる。
介護は、相手が亡くなるまでずっと続く。
これがつらいところだ。
そして、相手の状態が今日より明日がよくなるということはない。
いつまで、これがつづくのかと思うと、やりきれなくなる。


彼女はこのままがんで亡くなることで、自分の生もまっとうできる。
「がんになってよかった」
自分が納得のいくように、自らの生を完結できると思ったのである。


介護も最後まで続けられる、それは自分の最期でもあるのだが。


自分の一生はこれでいい。
入院もしない、治療も受けないということは、考えて考えて、出した結論である。
思いつきでできるような判断ではない。
誰にも、文句はいわせない、そんな強い信念に基づいた結論だった。

しかし、長男のひとことは彼女を目覚めさせた。(続く)