命の受け渡し

…そのとき、子どもたちは、
「お父さんの最期を家で看る」
といった…


『生死』(いきたひ)―家族で看取る―というドキュメント映画の中の話である。
映画に登場するのは、47歳で耳下腺がんで亡くなったお父さん。
高校生ひとり、中学生ひとり、小学生ふたりの4人の子どもがいる。


耳下腺がんは、からだの外にも出てきて、そこから出血もしている。当てたガーゼはみるみる血に染まっていく。
そのような状態の父親をみつめ、母親とともに、死を受け取ろうしている。
自宅で死にたいと願っても、なかなかそれがむずかしい。


がんの末期で出血もあって、病院に入れたほうがいいのでは、と思ってしまうが、
奥さんも子どもたちも、自宅で看取ることに気持ちを定める。
これだけでもすごいと思った。


そして、在宅医療を行う医師のもとで、父親は自宅で息を引き取る。
亡くなった父親の部屋に、奥さんと子どもたち全員で布団を敷き、眠りにつく。
ともに生き、ともに暮らした家で、最期のときを迎え、亡骸と眠る。
火葬に送るまでの時間を家族で過ごすのだ。
まさに最期をともに生きていく感じである。


がんも、栄養を断たれ、次第に小さくなっていく。
がんも生き続けることができない。
その様子を子どもが見て、「ざまあみろ」といった。
がんに対していったのだが、『がんよ、ざまあみろ。おとうさん、がんに勝ったね』といいたかったに違いない。
病を得て、死んでいくのだが、最期は病自体も去っていく。


こうした時間を過ごすことは、子どもたちにとって、大切な時間となるだろう。


失われた命は、残されたものにバトンとして渡される。
それがよくわかるような気がした。


病院で、機械的に送られる死と違い、そこには命の受け渡しがあった。