困ったじいさんにならないために

先日、『自宅で死にたい』を読んでくれた人たちを対象に講演しました。
いまわたしが住んでいるところにお住まいで、おもに東京などの都市部からの移住してきた人が中心です。
集まった人たちは、自ら納得のいく『墓地』として樹木葬ができる場所をつくろうと考え、場所をいろいろ探していたそうです。
いいところが見つかったのですが、近隣の人たちに墓地をつくることに反対され、頓挫してしまいました。
樹木葬ですので、いわゆる墓石をつくり、そのために土地を造成するのではなく、現在立っている樹木を利用したり、落葉樹を育てたりして、そこに各々のしるしのようなものをつけ、木の下に遺骨を埋めます。骨つぼなどは使わないので、骨も月日が経てば土に変えります。墓参は目印をつけた樹木に参るようにする。循環型自然墓苑というものだそうです。
なかなかおもしろい発想だと思います。
住まいを移し、さらに墓所に移す、いいですね。



聴衆はこうした活動をしてこられた人なので、『自宅で死にたい』という自著に興味を持っていただき、講演に呼んでもらいました。
講演をしていて感じたのですが、集まったのがほとんど女性でした。
リーダーをされている方は男性でしたが、参加者は女性がほとんどだったのです。
じつは、高齢になっても、友人をつくることができ、こうしたコミュニティにもすぐに入れるのは女性です。
女性にとって、地域社会への参加は特別なことでなく、ごく普通のことだから、コミュニティつくりも参加も容易なのでしょう。
ご近所付き合いもあるし、子どもがいれば子どもを通して友人をつくります。



ところが男性は、企業社会の中で、それなりに活躍してきましたが、会社という枠を失うと、自分でなかなか新しいことに挑戦できない。
企業内ではそれなりに、新しいことにも挑戦できたのに、なぜできなくなってしまうのか。
企業社会では役に立った肩書は地域社会では通用しません。
肩書ではなく、何ができるか、何をするかが重要です。
それが、地域社会で望まれていれば、参加もむずかしくないでしょう。


しかし、企業社会での働きがそのまま地域社会では活かすことはなかなかできません。
新しいことに挑戦しなければならないからです。
それを邪魔するのは、プライドです。
大げさにいえば、素の自分、裸の自分で出ていかなければ、新しいことに挑戦はできません。
新しいことはするには、肩書などのプライドを捨てる必要があります。
まず、頭を下げる、そして教えてもらう。
これができないと、新しいことはできません。


地域社会にとけ込めないと、これからたいへん生きにくくなるといえます。
団塊の世代が高齢者になり、介護サービスも十分に受けられなくなることは目に見えています。
家族以外に手助けがどうしても必要になってきます。
地域社会からの手助けがないと家族(奥さんだけ)ではむずかしい。
困った老人にならないために、いまから心がけておかなければありません。



さらに、周囲に迷惑をかける困ったジジイにならないために、まず必要なことは好奇心です。
面白そうだな、と思ったら、行ってみる、やってみる。
仮にそれが長続きしなくてもいいのです。やってみること。
そして、わからなければ、教わる。
これが困ったジジイにならないコツ。
自戒を込めて。