やさしい人、怒っている人

先日、認知症に関して「なるほど、そういうことだったのか」という話を、精神科医から聞いたので、ご紹介しておきたい。


認知症になると、コミュニケーションがとることができなくなるといわれている。
それは何といっても会話が成り立たなくなるからだ。
こちらの話していることが理解できないから、それに対する返事ができない。
認知症の人のいっていることがわかり、それがいますべきことでないといってもわからない。
たとえば、食事を終えたばかりで食べたいといってくることがある。「いま、食べたでしょう」といっても、それが理解できない。
こうしたことがつづく。


しかし、認知症で会話はできなくても、相手が怒っているとか、怒鳴っているとか、
反対にやさしいとか、その人の、そのときの『雰囲気』のようなものはわかる。
結果、いつも怒っている人、やさしい人というように人を見分けるようになる。
「あの人はいつも怒っている」「この人はやさしい人だ」という具合に。


もちろん、会話も成り立つときもあるが、その内容のほとんどは認知症の人の頭のなかには残らない。
しかし、1年1度、半年に1度、会話できることがある。
認知症になっても、完全に脳が機能しなくなっているわけではないからだ。
会話ができるとき、医師も思わずついいろいろ話したくなるという。



ところで、認知症の人にとって、人との会話、身近に流れているテレビの音、サイレンなどの周囲の音、これらが区別されることなく、頭に入ってきて、すべてが『騒音』なるのだそうだ。
『音』の内容が理解できないだけでなく、それぞれを聞き分け、対応することができない。
認知症でなければ、それが自分に向けられた会話なのか、BGMとして聞き流していい音楽なのか、
見ているテレビの音なのかがわかるから、騒音とはならない。
精神科医は、フィルターと表現していたが、必要なもの、聞き流していいものを区別している。
さまざまな『音』を聞いているが、フィルターを通して聞き分けている。
しかし、認知症になるとこのフィルターが機能しなくなり、
『音』のすべては耳に入り、まるで『騒音』のように迫ってくる感じなのだという。


だから、認知症の患者には、テレビやラジオの音も切り、音楽も流さず、静かな環境がいい。
つまり、『騒音』をまずシャットアウトする。
そして、できるだけ穏やかに、接すること。話すときもゆっくりと。


怒っている人、やさしい人は見分けることができると述べたが、その人の持っている『雰囲気』を察することはできる。
そして、その雰囲気だけが、頭に残り、怒っている人、やさしい人と認識している。
誰もがそうだが、やさしい人に囲まれていれば、穏やかになる。
できるだけ穏やかに静かな環境で接すること。
これが認知症の人に対する方法である。