ポテトチップスと透析

いよいよ透析を受けることになり、その準備に入った。
腎臓の状態を示すクレアチニンの数値も6代を超え、7代に入り、主治医から透析をはじめられるように手術を受けてくださいといわれたのである。


わたしは自分でできることは自分でしたい。それだけの理由でないのだが、病院ではなく、自宅で透析をする腹膜透析を選んだ。
腹膜透析を受けるためには、透析液を体外から腹腔に入れるためにカテーテルを前もって取り付ける必要がある。カテーテル留置術という。


わたしは一見それほど太っては見えないが、腹部に内臓脂肪が多く、これが邪魔をしてカテーテルが目的の場所になかなか届かず、手術は3時間もかかったと後で聞かされた。
手術は全身麻酔で行われるので、患者としてはまったく記憶もない。
術後、麻酔が切れると全身に悪寒が走り、とくに下腹部が寒くてたまらず、寒い、寒いといってがたがた震えてしまった。
すでに電気毛布で包まれていたのだが、看護師さんが少し温度を上げてくれたようだ。
次にわたしは、手足が過不足なく、動くことを確かめた。別にこんなことをする必要はなかったのだが、念のため。
そして、このあたりから痛みを感じはじめた。点滴で痛み止めを投入されていたが、襲ってきた痛みはかなり強烈だった。
手術をした腹部が痛む。痛む。


これも後でわかったが、腹部には縦に6センチの傷口、ほかに2センチぐらい傷口がふたつあり、それぞれは縫われていた。
どの部分が痛いとはわからないのだが、寝返りを打つたびに傷口に痛みが走る。寝ていても痛みで目が覚めるという状態が続き、途中筋肉注射で痛み止めと鎮静剤を打ってもらったが、眠ったと思ったら痛みで目が覚める。これをくり返し、術後の夜はほとんど眠れなかった。
翌日は、前夜の寝不足のおかげか、少し眠れるようになったが、まったく寝返りが打てない。寝返りを打つと痛みが起こるのである。真上を向いたまま眠るようにしたが、もともと横向きに寝る習慣があったため、これは結構つらかった。


術後二日目、ようやく痛みも少し収まり、お昼を病棟の中にあるデールームのようなところでとった。病院は諏訪湖畔に面していて、このデールームは明るく、たいへん気持ちがいい。
見舞いにきてくれたかみさんと2日目3日目のお昼はここで食事をした。
この間痛み止めを内服し、できるだけ痛みを抑えてもらった。
痛み止めに使用したのはカロナールである。カロナールはかつて痛風になったとき、かかりつけ医がわたしの腎臓を心配し、腎臓の機能を損なわない痛み止めとして選んでくれた。
この薬は腎臓に負担をかけない。乳児にも使えるという。
痛みもだいぶおさまり、術後2つ目にはシャワーを浴びる。
傷口をガーゼで覆い、その上に薄いテープを張って、シャワーを浴びるのだが、このテープは多少お湯がかかっても大丈夫とのこと。シャワー後、ガーゼをはがし、傷口を守っていたテープをはがし、消毒をする。じつは抜糸するまで、自宅でシャワーを利用してくださいといわれ、この消毒の過程を学ぶためでもある。自宅でも同じことをする。
看護師さんがつきっきりで指導してくれた。しかし、この作業は自分ひとりではできないなと思った。
お風呂は手術前に入ったので、二日ぶりにからだを洗った。
シャワーよりお風呂に入りたいが、抜糸するまでシャワーとのこと。


病室は4人部屋だった。高齢者がふたり、もうひとりはだいぶ若い人だった。
高齢者にしても、若い人にしても、どうして入院するような状態になったという自覚にたいへん乏しい。
これは、お見舞いにきた人と患者さんの会話から思ったのだが。
「どうして、こんなに足がむくんじゃったのかね」
「いや、何もしただか」
「前みたいに歩けるようになるといいんけど」
という具合である。
朝、午前中、午後、夕方と看護師さんが血圧や脈拍、酸素濃度を測りにくるが、そのときの数値が聞こえる。
この患者さんの場合、食後に血糖値を測っていることから糖尿病がベースにあるのだろう。
入院中ということもあり、血圧はそれほど高くないが、血糖値はかなり高い。
食前に薬を飲んでいるが、これは糖尿病の薬だろう。
糖尿病に自覚症状はない。健康診断などで指摘されていたのかもしれないが、放っておいて、おそらく足の動脈硬化がすすみ、むくみもあって歩けなくなり、入院したのだろう。神経障害も起きているのかもしれない。
糖尿病に関して、もう少し知識があったら、食事に注意し、からだをできるだけ動かすことをしていたら、隣の患者さんも入院という事態にはならなかったのではないか。


同室の若い人は、血液透析を受けている。
血液透析をはじめて受けるのだろう。透析を受けると、どのような状態になるのかということを知ってもらうための入院かもしれない。
同じく糖尿病なのか。これはよくわからなかった。透析を受けるくらいだから、腎不全であることに間違いはない。
結婚しているらしく、若い奥さんが見舞いにくる。
看護師さんから、食事指導を栄養士さんから受けてくださいといわれていた。
「食事指導は奥さんといっしょに受けてもらわなければ、意味がありません。ご自宅で食事を作るのは奥さんですよね」
「妻は忙しくて、夜しか時間がとれないのですが」
「なんとか時間を作ってください」
そんなやり取りがあって、わたしが入院中の午後、奥さんがやってきて、デールームで栄養指導を受けていた。


栄養指導はわたしも受けたことがあるが、これはなかなかできないなというものもあるが、自分のからだを守るためにやるしかない。
かつて、栄養指導をしてくれたベテランの栄養士さんは、まずできることはやってください、何のためにするのかをよく理解してくださいと、加えていずれ腎不全で入院するようになるといままでの食事をまったく違って、味気がないから食べられないという人もいます。練習のつもりでやってみてくださいといわれた。
さらに「次回検査のときに結果を見れば、食事にどのくらい気を配ってくれたかがわかりますから、見せてくださいね」
これが重要だ。栄養士さんも指導したらそれで終わりではなく、もう一度患者の状態を把握する。もしうまくできないとしたら、何が問題か、患者といっしょになって考える。
わたしは、そういう指導を受けたので、今回の入院でも薄味の食事も食べることができた。ちなみに、塩分の代わりに香辛料があると、食べることができることも実感した。


さて、栄養指導を受けた若いご夫婦だが、栄養士さんが去ると、奥さんがポテトチップスの袋を取り出し、食べはじめた。
すると、透析を受けているご主人もわきからポテトチップスをつまんでいるではないか。
「いま、栄養指導を受けたんじゃないの」
と思わず、心の中で叫んでしまった。
ジャガイモはカリウムが多く、腎不全の患者には勧められない。下茹でするなどをすれば、まだいいが、何より塩分が問題である。
わたしも昔はポテトチップスが好きだったから、よく食べていたが、いまはまったく口にしない。ポテトチップスを食べなくても生きていけるし。


自分の病気について、どのくらいの知識があるのか。
医師は、病識という。
かつて、ある医師が「この患者は病識がないから困るんだよな」
といっていたのを聞いたとき、それは医師が患者にわかりやすく病気を説明してないからじゃないかと思った。
しかし、よく考えてみると、自分のからだを知らないですまない。わからなければ、調べてみる。医師に聞く。
毎日食事をし、運動をし、日常生活を送るのは自分である。だから、できることはやる、そして自分のからだを守る術を身につけたい。
これが大切だな、と入院生活でしみじみわかった。
ポテトチップスはいかんよ。