しっかり握った手が

歳をとってから、友だちができるのはむずかしいといわれる。
年齢とともに、頑固になるし、慎重になる。思慮深くなるといういい方もあるが、要するに臆病になっていく。
それだけ人間関係も狭くなり、人と知り合う機会も減っていく。
そもそも人と知り合うことが少なくなれば、友だちもできにくい。
とくに男性はそうだ。人間関係の中心は仕事での付き合いだった。
定年後となれば仕事上の付き合いがなくなり、地域でのつながりが基本になっていくが、もともと地域とのつながりが少ない。
新たに付き合いをはじめることになるが、それはなかなかむずかしい。


わたしも友人といえる人に巡り合うことはなかった。
仕事柄、地域医療を考える会などに参加していたし、そこで知り合いもできた。
ご近所の人たちとも付き合いはあった。それぞれの家で宴会も何度かしたことがある。しかし、ご近所の人たちはみなわたしより年齢が高く、友だちというには遠慮がある。


それが、5年前。八ヶ岳をはじめ、南アルプスや多くの魅力的な山々が近くあり、山登りを再開しようと思っていたとき、同じように山登りをしようとしている彼と知り合った。年齢もわたしよりふたつ上だったが、その差は感じなかった。
しかし、そのときにすでに彼は、前立腺がんと告知されていた。骨転移もあるという。
わたしは、週刊誌に「がんになったら読むべき10冊」という記事を書いたばかりだった。
その記事を彼の奥さんも娘さんも読んでいた。
これが出会いだった。
彼の前立腺がんも当初の治療に効果があり、抗がん剤を服用していたが症状は治まっていた。
その年の夏、北アルプスの燕岳を登ろうという計画が立ち上がった。
わたしは、山登りといっても東京近郊の「山歩き」程度で、北アルプスには行ったことがない。
彼の奥さんも含め、燕岳に登った。
これはいまでにない楽しい山行だった。


その後も、いっしょに八ヶ岳の赤岳、横岳、硫黄岳、蓼科山、西岳、編笠山瑞牆山金峰山、茅ヶ岳、蛭が岳、千頭星山、甘利山、飯盛山などなど、近郊の山々を登った。
山登りをした後は、必ず地元の温泉に入り、汗を流してから、いっしょに食事をした。
彼の家に行ったこともあるし、わたしの家にも何度もきた。お互いの友人の家でもよく宴会もした。
かれとの交流はじつに楽しかった。


彼は工学系の研究者で、理論的な思考をする。あまり情緒的ではない。お互いの違いが、会話を一層楽しくした。
談論風発、ざっくばらん。こっちもいいたいことをいう、向こうも負けていない。楽しい付き合いがつづいた。


しかし、一方でがんが少しずつ進行していた。
彼が別れ際に、握手をするようになった。また、「今度ね、元気でね」と、お互いを確かめ合うように。
わたしも腎臓の状態が徐々に悪くなり、行く末を考え転居したり、病院を変えたりと、いろいろあったが、そんなときもいろいろ手助けをしてくれた。
がんの末期ではないが、わたしなりに最期を考えている。
死について、延命治療などについても、彼と話し合った。

この9月、彼が逝ってしまった。


がんが結んだ縁。いずれ別れのときはくると覚悟をしていた。
わたしとしては、彼にとっても穏やかな最期を望んでいたが、最後まで生きる意志が強く、がんと闘ったようだ。
生きる意志が強いと、それだけつらい最期になるのかもしれない。
もう十分生きた、この世に未練はなくはないが、まあ、こうして死んでいくのだな、と、思えれば、諦念というと格好いいけど、そんな感じで亡くなることができれば。


彼はわたしより2歳ほど年上だけだけど、きっとすごく家族思いだったのだろう。家族が心配で、心配で、仕方がなかったのだろう。
それだけに、死ぬことを受け入れられなかったのかもしれない。
死ぬことを受け入れる、死の受容という。
しかし、誰もがこの死の受容という境地に達するわけではない。
死の受容とは、理想の形なのだろうか。


死を受け入れるまでの段階を精神科医のキュブラー・ロスが『死ぬ瞬間』という本で書いている。この本は、いままであまり語られてこなかった終末期についての提言ともなっている。
アメリカシカゴの病院で末期の患者さん200人と面談し、死にゆく人の心理を分析したもので、死の過程に、
1否認と孤立
2怒り
3取引
抑うつ
5受容
という段階があるという。
死を告げられたとき、最初は否定し、そして怒り、取引を考え、憂鬱になり、最後はようやく受け入れるという。
しかし、すべての人が、死の段階を進むわけではない。
人によって、それぞれ異なる死を迎えるものだということを、改めて彼の死から知った。
生き方が違うように死に方も違う。人それぞれ。


突然逝ってしまうと、何か考えることもないかもしれないが、医学が発達した現在、人はすぐに死ななくなった。死についても考える時間がある。
わたしも『自宅で死にたい』という本を書いた。
いまから、自らの死について考えておくことをお勧めする。
死は必ずやってくる。
穏やかな死は、家族への思いやりかな。