不健全な肉体 2

健全な肉体に健全な精神が宿るという「言い伝え」が間違いであると述べました。
健全な精神と健全な肉体の間には、相関関係はないと。
これに対し、ある人から
「健康を害するとネガティブな考えを持つ人もいます」
というコメントいただきました。
これは確かにあります。


わたしも、痛みがあるときは悲観的になります。
この痛みがずっと続くと思うと、生きようという気力がなくなっていきます。
人は、とくに男性は痛みに弱いといわれますが、痛みがつづくのはつらいものです。
とくに夜。眠ろうとしているのに、痛みがはじまり、眠りを邪魔をする。
痛みがうすらぎ、眠れるかなと思っているときに、また痛みが起こる。こうなるとつらさがまします。
痛みに、とらわれ、いっそう眠れなくなります。
こんなとき、痛みをまぎらわすために、ついタブレットを見てしまいます。
ブルーライトが、眠りを阻害するといわれていますが、ほかに方法が見つかりません。
本当に気をまぎらわすためには、楽しいことを思い浮かべる、楽しいことを考えることがいいとわかっているのですが。


痛みというと、わたしは正岡子規の病状を思います。
子規は結核菌が脊椎で繁殖し、寝たきりになります。
痛みも強く、何とかこの痛みをとってくれといっています。
しかし、痛みがあっても、句会をし、作句に励みます。
自らは行くことはできないが、当時の出来事に思いを馳せます。
鶯谷の子規庵を訪れたことがありますが、ここで子規は寝ながら見える映りゆく景色を楽しんだのだなと思いました。
『病状六尺』に、見たことはないが、ちょっと見たいものというものを挙げています。
活動写真、自転車の競争、動物園の獅子および駝鳥、浅草水族館、ビアホール、女剣舞および洋式演劇などなど、数えるにいとまがないとあります。
このくだりは、楽しいものを思い浮かべている子規がうかがえ、とても好きです。



わたしもこうありたいものです。
コメントをくれた人は
「精神は心です。心の使い方次第だと思います」
と述べています。
本当にそう思います。