往診が復活してきた

わたしがまだ子どものころ、小学校に上がる前。からだがたいへん弱く、病気がちだった。
近所の小児科にしょっちゅうかかっていた。往診もよくしてもらっていた。
いまから60年以上も前の話である。
そのころ、わたしが住んでいたところでも、医師に診てもらう人はまだまだ少なかった。
地方では、医師に診てもらったり、往診を頼んだりするのは、地域でも限られた人たちだった。
わたしの家が決して裕福だったわけではなく、長兄、次姉を幼いときに亡くしていたので、両親が子どもの病気についてたいへん神経質だったからである。
あのころ、往診をしてくれる医師がいた。
いまはどうだろう。
往診をしてくれる医師はほとんどいなくなった。


その理由は、往診を依頼しなくても、救急車を呼べば、適切な医療を受けることができるようになったからだ。
救急医療体制が整い、地方でもあって医療を受けることができる。
該当する科の医師がいなかったり、救急体制が整っていなかったりして、救急車がいくつも病院をめぐるという事態はあるが、それもずいぶん改善されてきている。
それだけ往診の需要が減り、結果往診をする医師も少なくなった。


もう一つの理由が、病院や診療所にある検査機器がいちじるしく発達し、こうした検査を受けて初めて診療が行われるようになり、聴診器や触診だけで診察をする医師が少なくなった。聴診器を使ったり触診したりする医師自体もだいぶ少なくなってきている。
昔は、患者の自宅でも診療所でも医師が同じように診察を行い、治療をしていた。
そうした体制が詳細な検査ができる検査機器の出現で、大きく変わったのである。
自宅で診察するより病院や診療所で、検査機器を駆使して診察したほうがいいと、患者も医師も思うようになり、これが往診がなくなった理由である。


では、往診は完全になくなったかというとそうではない。
在宅医療を望んでいる患者が急変した場合、契約している医師は患者のところに駆けつける。往診である。
これは患者の側の変化による。
住み慣れた家で最期を迎えたいという人たちがいる。
2013年に松山市3000名の医療関係者が参加して、日本在宅学会が開かれた。
そこで、『終末期の医療と介護に関する松山宣言』が採択された。その一部を紹介すると、
―1住み慣れた自宅や施設で最期を自然に迎える選択肢のあることを提案しよう。
  医療は治すことを主目的に発展し、多くの場合、亡くなる直前まで治そうと努力し続けてきました。これからは、たとえ治らなくても、死が避けられなくても、住み慣れた場所で、その人にとって適切な医療や介護を受けながら自分らしく生活を営み、死を自然に迎えるという選択があることを広く知ってもらい、普及していく必要がありますー
とある。
在宅で死を迎えるには、往診は欠かせない。
これも時代の要請である。多死社会がすぐ近くにきているからだ。


地域で訪問診療をしている医師を前もって探しておくことが大切になってきている。