煮えたぎる鍋 方法はふたつある

 清水哲男さんが主宰している「増殖する俳句歳時記」は、昔からよく見ているサイトである。「へえ」と驚き、感心してしまう句にいくつも出会った。以前、このブログでも紹介した農業をしている句にもこのサイトで出会った。わたしの大好きな池田澄子さんの句もたくさん紹介されている。
 また、また、このサイトですごいのに出会ってしまった。
 煮えたぎる鍋 方法はふたつある
 この句は、倉本朝世の句なのだが、サイトでは
 名前からちょっとずらして布団を敷く
 という句が紹介されていた。
 この句も「おや」という句なのだが、昼間の間呼ばれている「わたし」という名前から少しずらして、布団を敷き、夢の世界にはいるということのようだ。
 この句の説明の中に、こんなものもありますと紹介されていたのが、
 煮えたぎる鍋 方法はふたつある
 である。
 まさに煮えたぎっている鍋。何か具材を入れて瞬時に茹でてしまうのか。それとも自ら手も突っ込むか、それとも誰かにかけてしまうのか。怖い想像も広がっていく。
 煮えたぎっている鍋だからこそ、生まれてくる思い。これを句にしたすごさ。
 季語も大切だが、日常の生活に隠れている何かを発見するのも、句の楽しみである。
 さて、煮えたぎっている鍋は、台所にある鍋ではなく、わたしの心にある鍋かもしれない。
 これをどうにかしないといけない。